通学時における子どもたちの「安全」を考える

子どもの安全を守るためにケータイを役立たせようとするとき、学校と家庭は今、何をするべきなのでしょうか。
子どもたちの安全が危機にさらされる中、GPS機能などで注目を集める「携帯電話」ですが、その半面、利用によるトラブルも問題視されています。
子どもたちにとって、“通学”とは社会に出る、いわば「社会化」するという重要なイベント。通学路は他者や社会と関わる力を養う場であり、安全教育の大切な“実地訓練の機会”でもあります。しかし、そのためにはまず社会における「リスク」を段階的に教えていく必要があります。子どもの発達に合わせて、安全を「選択する」力を育んであげる必要があるのです。
すなわち、社会で出会うすべてが危険なのではなく、あくまでも「社会にリスクが潜んでいる」ということを意識させること。万一トラブルに遭遇した場合でも、なぜそうなったのかを問いかけ、考えさせ、学ばせることが大事なのです。
そのためには、まずは親が通学路をゆっくり歩き、どのようなリスクの可能性があるのかを、しらみつぶしに検討することが重要です。もしかしたら、この交差点でこういうことが起きるかもしれない。通学電車が事故で止まってしまうかもしれない――。そうした場合の、周囲への助けの求め方などを、子どもの立場になって考えるわけです。
また、通学路における季節ごとの変化などもチェックしましょう。通学路は日々変化しており、大人にとっては些細な変化としか思えないことでも、子どもにとっては「劇的な変化」となり得る場合があるからです。
注意を促す時も、漠然とした言い方ではなく、具体的に教えなければなりません。「雨が降っているから気をつけなさい」ではなく、「雨が降っていて滑りやすいから、足元に気をつけなさい」といったアドバイスが必要なのです。
とりわけ、電車に乗るということは、他者との関わりが増えるということでもあります。通学中に多いのは、他者とのトラブル・事故です。
子どもは周囲の大人の行動を完全にコピーしてしまいます。身近な大人が他者とトラブルを起こすような行動を取っていれば、子どもも同じように行動し、トラブルを起こしてしまう確率が高まります。通学路はさまざまな人が利用する「公共の場」でもあるので、周囲の人々への思いやりや優しさを忘れないよう、普段から親子で考える機会を持ちたいものです。
そもそも、なぜ、大人が子どもよりも危険を回避できるかというと、経験上、危険を予測できる力を身につけているからです。大人は自分の身の上に起こったトラブルを振り返り、原因との関係性を見出し、次の機会に活かしているのです。
注意深く行動するということは、小学校1年生のうちだからこそ身につけることが可能だと言えます。転びそうになった時も、「なぜ転びそうになってしまったのか分かる?」と子どもに問いかけ、答えを見出す手助けをしてあげることが大切でしょう。
こうした中、近年では何かあった時のためにと、携帯電話を子どもに持たせることを望む親が急激に増えています。
2008年春に、大学通信が東京圏の私立小学校90校に対して実施した『児童の携帯電話の利用に関するアンケート調査』によると、児童の安全管理のため、携帯電話の持ち込みを無条件で許可している小学校は4.8%にとどまりますが、「条件付き許可」を含めると73.1%に上っていることが判明しました。
ここで、学校側が持ち込みを許可する際に条件として掲げているのが、携帯各社が開発・販売している「児童用に特化した携帯電話」であることです。その大きなメリットとしては、「通信相手を(最大*件、というように)限定できる」「インターネットおよびメール機能がない(または制限できる)」「問題点を保護者と子どもが共有できる」が挙げられています。「位置情報機能(GPS)は有用だが、カメラ機能などは必要ない」というのがほぼすべての学校側の意見です。
他方、「持ち込みを許可しない」と回答した学校のほとんどで挙げられた意見が、“児童の生活上のトラブル”でした。「携帯電話を使った犯罪やいじめ、校内・登下校中の無秩序な使用」「有害サイトへのアクセス」が予測されるからです。「基本的な立場として、学校生活には必要がない」という意見、さらには「持ち込みを許可したことに伴う問題の発生に対し、学校として責任を負いきれない」という意見も見られました。
このため、持ち込みを許可している場合でも、多くの学校は児童の携帯電話を何らかの形で管理しているようです。
最も多い方法は、「登校時にケータイを専用の箱に集めて担任が保管し、下校時に児童に返す」というもの。その半面、子どもの責任において「校内では電源をオフ(またはマナーモード)にし、使用しないこと。約束を守らないときは、取り上げて保護者に返却する」というように、子どもによる自己管理を重視している学校もあります。
高度情報化時代に生きる子どもたちにとって、携帯電話をただ「物理的に」管理するだけでは、生産的であるとは言えません。そこに「ルール」を示し、携帯電話という“情報ツール”を正しく使いこなす力=「情報リテラシー」を育成するべきでしょう。
実際に、持ち込みを許可している小学校の85.3%が「学校独自のルール」を提示しています。言い換えれば、これらのルールの中身を知ることによって、学校側が携帯電話の利用の“どこに”問題があると捉えているのかが浮き彫りになるでしょう。
そのルールの主な項目を見ると、「学習時間内(門をくぐってから、終礼まで)の使用の禁止」「学校内では公衆電話を使用する。校内においては、持っていることを明かさない。友達に貸したりしない」「校外では路上などで使用せず、目立たない場所で使用する」などが挙げられます。
実際に、「児童が携帯電話を所有することにより、問題(トラブル)は発生しているか」を質問したところ、38.1%の学校が「発生している」と回答し、次のような具体例を挙げました。
▼家庭との約束を守らず、下校途中に友人同士で見せ合ったりすることで安全面でも問題に
▼通学電車内でも通話やメールをしたり、ゲームやカメラを使用したりして地域から苦情を受ける
▼友だち同士のメールのやり取りでトラブルに
▼メールを夜9時以降に送信することがある
▼子どもたち同士での外出に拍車がかかる
▼チェーンメールを回す
こうした中、トラブルの発生に対して、各学校では「保護者会などを通して注意を呼びかけたり、担任が該当児童の保護者と面談」したりして対応しています。
「教師や保護者に有害サイトへのアクセスの実態をDVDなどで紹介し、理解してもらっている」ほか、「メールについては『情報(コンピュータ)』の授業で指導を行っている」「ルールを守ることができなかった場合、携帯電話携行の許可を取り消し、学校への持ち込みを禁止する」学校も増えているようです。
その一方で、「プライバシーにかかわる問題なので、問題が起こった際にそのつど個人指導をしている」と回答した学校もありました。まさに、ケータイをめぐる問題は“現代的な”事項なのです。

こうした中、小学校でもケータイやインターネットに関する情報教育(リテラシー)の必要性が叫ばれ、実際に65.1%の学校がこうした取り組みを行っています。
ただし、こうした教育を学校だけですべてカバーできるのかというと、疑問も残ります。
過半数の小学校では、携帯電話への学校の関わりとして、「管理と指導が必要」(28.6%)、「根本的な教育が必要」(22.2%)と回答していますが、「本人と保護者に任せるべき」とした学校も28.6%を数えます。「携帯のマナーやルール、危険性などの基本的な教育は、家庭に委ねられるべき」という考えがその背景にはあるようです。
また、「家庭でないとできないことには何があるか」という設問に対して、学校側は「携帯電話の必要性の可否判断」「メール・着信のチェック、利用状況(内容、時間等の確認)などプライバシーに関わること」「コミュニケーション力(根本的な力は家庭で育てられる)」などを挙げています。
ほかにも、携帯電話の利用料金設定などはもちろん、「家の内外、時間帯、つながる相手やサイトなど利用のルールづくり」「子どもにふさわしい機種や設定の選択」には細心の注意を払ってほしい、と注文がつけられています。すなわち、(1)子どもや家庭の事情に合ったケータイ利用のルール、(2)機種や設定の選択、そして(3)日頃からの見守りが求められているのです。
最後に、「家庭と学校が協力しないとできないこと」として挙げられているポイントを紹介しましょう。
まずは「家庭と学校とが同じ価値観(教育方針)で子どもに指導する」ということ。これはスムーズな道徳、情操教育を施す上で大事なことです。
「学校側は精神的な部分、家庭はそれを支えにした体験的な部分を指導する」という意見も目立ちました。「学校での指導と家庭の考えをお互いに共有し、協力することが、携帯電話のモラルやマナー習得には必要」ということでしょう。
また、メールなどにより友人間でトラブルが起こった時、解決に立ち向かうには、リアル(現実)の世界での「コミュニケーション」に頼るほかにはありません。当たり前のことですが、子どもと親、そして教師が、実世界で強い絆で結ばれていれば、解決できない問題はないはずです。
企業や行政、学校等の安全問題に詳しく、私立学校設立の顧問などにも従事する堀口瑞穂氏は、「子どもたちをネット世界のトラブルから守るには、何よりも親が具体的な理解と方策を持つことが重要です。家庭内のルールをきちんと決め、端末の設定を適正化すれば、ケータイは子どもたちの安全にとってきわめて有効なツールになり得るのです」と説明しています。
ツールに「使われる」のではなく、「使いこなす」リテラシーを養うことこそが、今の時代には求められているのではないでしょうか。
