TEL 075-753-2523 http://www.kyoto-u.ac.jp/top.htm

「日常生活」の視点から解明する

京都大学のグローバルCOEプログラム「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」では、人々が幸せに暮らせる社会の有り様をグローバルな視点から考える研究に取り組んでいます。世界の各地域の人々の日常生活の有り様と、それを支える望ましい社会制度のあり方を、日常生活の視点に立って解明する新しい研究分野「親密圏と公共圏の再編成」を開拓するとともに、新分野を担うグローバルな人材を育成し、アジア圏での社会研究ネットワークを形成することを目的としています。目指すのは、「人々が生きて子どもを育て、安心して老いていくことが難しくなっている世界のあり方を、根本から考え直し、立て直していく」ことです。
拠点の研究を紹介する前に、拠点形成のきっかけとなった、「育児不安」についての研究を紹介します。
育児不安は、子育て中の女性が孤立して、漠然とした不安に囚われる現象で、子供の虐待に至る場合もある深刻な社会問題です。日本では広く知られている問題ですが、意外なことに、世界に類例を見ない現象だといいます。
「育児不安」は日本だけ
「それに気づいたとき、社会学的な問題だと直観した」と、拠点リーダーの落合恵美子教授は語ります。
なぜ育児不安は日本にしか見られないのか。各国の実態を比較研究したところ、日本の特殊な実態が浮かび上がりました。欧米や日本を除くアジア各国には、国家政策としての保育施設や親族の協力、外国人メイドの雇用など、何らかの形で子育て中の女性を孤立させない仕組みがあるのに、一人日本にだけ、それがなかったのです。
すなわち、核家族化により親族の協力を失い、長時間労働などが原因で夫が子育てから離脱しているのに、保育政策は脆弱で、国の政策のため外国人メイドは雇えない。そうした状況の中で、日本の女性が育児不安に苦しんでいる――。
落合教授は指摘します。「育児だけでなく、高齢者介護や引きこもりなどの負担を、家族に集中してしまうのが日本の社会です。それが家族の機能不全を招き、結婚や子育てへの不安感を増幅させている。これは世界共通のことではなく、日本社会の特殊な制度のあり方が、そういう生活不安を生んでいます」
育児という極めて私的な活動に、国の政策や世界のグローバル化など社会の構造が決定的な影響を及ぼしているのが、現代の社会です。
「その実態を解明し、社会にとって望ましい政策を提言するには、社会科学の統合とグローバルな研究協力が不可欠」との認識から、「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」はスタートしました。
同時に変容する
親密圏と公共圏
産業革命以降に登場した近代社会の構造を理解するために概念化された近代社会モデルでは、家族と市民社会、国家が截然と区別されていました。しかし、1970年代以降、その構造は流動化し始めます。一方で、国家を超えた地域経済圏や多国籍企業など、グローバルな社会システムが生まれ、他方で、核家族化や晩婚化、シングルマザーの一般化など、さまざまな私生活のあり方が登場しました。家族に替えて「親密圏(1)」が、国家や市民社会に替えて「公共圏(2)」という概念が用いられるのには、そのような事情があります。
世界や社会の構造が流動化し、人々の生き方や、それを取り巻く環境が変化しているのに、社会保障や経済、雇用、出入国管理などの仕組みが従来のままでは、社会がうまく機能するはずがありません。実態にマッチした社会政策を設計するには、まず、社会の実態を、歴史的な変容の過程を含め、明らかにしなければなりません。そこに、新分野である「親密圏と公共圏の再編成」が果たすべき重要な役割があります。
近代化したアジアに
研究の力点を置く
拠点の特色は、「日常生活からの発想」という視点で学際的研究を行うことと、アジアに研究の力点を置いていることにあります。落合教授は語ります。「社会科学には、国家戦略に利用されてきた歴史がありますが、一番大切なのは『人々が幸せに暮らせる』ことなのですから、私たちはそこに基盤を置きます。日常生活から発想するのはそのためです」
アジアに力点を置くことにも、理由があります。現代のアジア各国では、近代化と近代化後の社会の変化が同時に進行しています。日本はアジアで最初に近代化したため、欧米と比べた日本の特殊性だけが語られてきましたが、アジア各国が近代化してみると、日本が特殊だったのではなく、日本を含めたアジア諸国の近代化に共通点がある可能性が見えてきたのです。
「今の社会科学に必要なことは、欧米との比較だけではなく、アジアの中に位置づけて日本の社会を見直すことで、世界の見方を変えていくこと」と、落合教授は指摘します。
拠点では分野横断的な社会科学ネットワーク(3)を形成し、理論研究、歴史研究、政策研究、フィールド調査などの研究班を作って研究を進めています。
17世紀オランダの絵画から親密圏の変容を探る美術史の研究や、アジアの福祉システムの比較研究、アニメやメディアによる共通の価値観創出メカニズムの研究など、さまざまな分野で幅広い研究が行われています。さらに、アジア、ヨーロッパ、北アメリカの13大学を海外パートナー拠点(4)とし、共同研究を進めています。
落合教授は語ります。「近代化以後、日本の社会政策は欧米のそれを見習って設計されて来ましたが、同じ社会的条件を抱えている訳ではないのに、同じ仕組みを作ってもうまく機能するはずはありません。日本の実態を生活レベルで見直し、欧米やアジア各国との差異や類似を検証し、欧米型で行くのか、アジアに寄り添って行くのか、独自のあり方を目指すのか、グランドデザインを示す。そこに、私たちのCOEの役割があると思っています」
「いま、社会科学が面白い」
研究と同様に拠点が力を注いでいるのが次世代の研究者の育成です。海外パートナー拠点と共同での学生・研究者の交換制度、単位互換制度、国際共同調査プロジェクト、パートナー拠点での研究経験など、さまざまなプログラムで研究者を育成します。海外研究者によるリレー講義も実施されています。
落合教授は、社会科学の魅力を次のように語っています。「いま、日本で研究するなら、社会科学の方にチャレンジングな問題がたくさんあります。欧米の研究者もアジアに注目しています。それは、解けてない問題が山積みだからです。社会全体にとって進む道が見えず困難なとき、研究によってその道を示すことは、とても面白く、やりがいのある仕事なのです」
「人々が生きて子どもを育て、
安心して老いていくことが困難な世界のあり方を根本から考え直し、立て直していく」

(2)公共圏 国家、市場、市民社会、さらにはコミュニティや地域社会、国境を横断するグローバル社会など、親密圏を包み込む社会のさまざまな姿を、公共圏という概念でとらえる。
(3)社会科学ネットワーク 京都大学大学院の文学研究科、人間・環境学研究科、教育学研究科、法学研究科、経済学研究科、農学研究科のほか、人文科学研究所、地域研究統合情報センターの研究者が、拠点に結集している。
(4)海外パートナー拠点 アジア・パートナーに、ソウル大学(韓国)、北京外国語大学(中国)、台湾大学、フィリピン大学、ベトナム社会科学院、チュラロンコーン大学(タイ)、タマサート大学(同)、デリー大学(インド)、トリブハン大学(ネパール)、ヨーロッパ・パートナーにユバスキュラ大学(フィンランド)、ストックホルム大学(スウェーデン)、ストラスブール大学(フランス)、北アメリカ・パートナーにトロント大学(カナダ)がある。
