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    人間が人間を裁くことは、何を意味している? 【高校生のための「法学」講座 12】


     罪を行った場合、刑罰が科される可能性があります。たとえば、刑法199条には、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と規定されています。いわゆる殺人罪です。しかし、これだけでは、殺人を行った者に刑罰を科すことはできません。そもそも、誰が殺人を行ったのかわかりません(殺人を行ったのではないかと疑われている人がいるかもしれません。でも、その人が殺人を行ったと決まったわけではありません)。
     

     
     こで、裁判で誰が殺人を行ったのかを見定めます。そのためには、その死が殺人によるものであることや誰が殺人を行ったのかを明らかにする証拠が必要です。さらには、殺人を行った疑いのある人を裁判に訴えなければなりませんし、殺人を行った疑いのある人を裁判へ連れてこなければなりません。裁判では、事件について知っている人の話を聞いたり、殺人を行ったと疑われている人の話を聞く必要があります。その上で、殺人を行ったと疑われている人が、間違いなく殺人を行ったと確認できれば、その人にどのような刑罰がふさわしいかを考えます。それを確認できなければ、殺人を行ったと疑われている人は、裁判から解放されます。これらの手順を定めたものが刑事手続です(代表的な法令として、刑事訴訟法があります)。
     

     
     事手続は、神ではなく人間が行うものです(警察官、検察官、裁判官、弁護士はみんな人間です)。このことの意味は、間違いが必ず起こるということです。すなわち、冤罪(えんざい)です(冤罪とは、本当は当該犯罪を行ってはいない人について、犯罪を行った人としてしまうことです)。冤罪は非常に大きな犠牲をもたらします。仕事を失ったり、家族を失ったり(家族も大きな被害を受けます)、それまでの居住地域にいられなくなったり、心身の健康を損なうのは、代表的な被害です。さらに、死刑が定められた犯罪であれば、命が失われる可能性があります。失われた命は、後で間違いであることが判明しても当然戻りません。実は、冤罪はこれまでたくさん発生してきましたし、現在も発生しています。
     

     
     方で、「神ではなく人間が行うもの」とは、間違いをゼロにはできないということをも意味しているはずです。つまり冤罪の犠牲者の発生は不可避であるということです。したがって、刑罰を科すというシステムは、冤罪という犠牲の上に成り立っているわけです。あなた自身、あなたの家族、あなたの友人が犠牲になるかもしれません(ただし、現在のシステムを前提にしても、冤罪をゼロに近づける努力と工夫は必要です。しかし、日本は諸外国と比べて、それらがきわめて不十分です)。
     

     
     たしたちは、それでもなお大きな犠牲を伴うこのシステムを維持しなければならない(あるいは維持せざるをえない)のでしょうか。それとも何か別の方法で、他人の権利や利益の侵害(この場合「犯罪」と呼ぶのかどうかはわかりませんが)という問題を解決できるのでしょうか。
     
     
    *  *  *
     
     罪と刑罰は法律によって規定され、それを実現するための手続も現実に運用されています。しかし、それは所与の前提ではありません。学問の世界に疑うことが許されないものはありませんし、そもそも疑うことから学問は始まります。また、唯一絶対の正解というものもありません。これが大学における勉強です。ともに悩み考えてみませんか。
     

    [最終更新日 2016.06.16]

     
    ※イメージ写真は、立正大学法学部 村田 和宏ゼミの授業風景です